Welcome to my EGO

10代の頃、先輩に借りた1本の映画を見て、

ハンマーで殴られたような衝撃を受けた。

 

その映画は、「The warriors」

 

昔のNYのギャング映画なんだけど、

劇中で広がるgroovyなサウンド、

New Yorkのレンガ造りの街並み。

 

すべてが俺の心に突き刺さった。

そこからの俺はHipHopを聴きながら、

原宿でStreet wearをDigしまくる毎日を過ごした。

 

「RussやJake oneに会いたい。本物に触れてみたい。」

そんな単純な理由だけでNew Yorkに飛んだ。

 

JFKに降り立ち夢が始まった瞬間、

体中に電撃が走ったのを今でもクリアに覚えてる。

あらゆるShop、Spot、Super starを求め、

疲労感なんて忘れてNYの町を練り歩いた。

五感をフルに使って、本場のstreet cultureを全身で感じた。

そして、念願のRussにも会えたんだ。

詰め込めるだけのものを、詰め込んだ。

 

でも、英語はもとより、お金も人脈も技術も、

何も持たない10代の日本人に

自由の女神は微笑んでくれなかった。

言葉の壁、文化の壁、人種の壁、

あの時の自分が超えられるものは1つもなかった。

辛酸を舐めたNewYorkの日々、

でも、ホンモノに触れた経験のおかげで
確かなモノを掴んだ。

 

帰国後、この原体験が縁を結び、

ROCK HARD , NATURAL BORNら、

NYのLEGENDたちのブランドを扱ってた

原宿の老舗GOTHAMが俺を迎え入れてくれた。

ここでStreet cultureの神髄を学んだ。本当に沢山。

 

さらに、こんな線が繋がることってあるのかよって思った出来事がある。

 

GOTHAMとRussで映画「The warriors」の三十周年記念イベントをやったんだ。

その瞬間に立ち合えるとは。ホント高揚したな。

 

その時の俺は、様々なアーティストたちをHook upして、

メディアプロデュースも手伝った。

時代をまとうであろうアーティストたちに

MV用の衣装を提供したこともあったな。

 

当時、苦楽を共にした沢山の仲間が出来た。

Rapper、DJやDancer、今でも第一線で活躍する、

それこそStreet cultureの代名詞的存在。

 

様々な分野のPioneerたちと付き合っていくうちに、

気つけば自分もそれに呼応して、

MACをゲットし、Illustratorを独学で
毎日徹夜でデザインやプロダクトに没頭するようになってた


そして、24歳の時に設立したTOKYORK。

俺の2つのバックボーンに思いを込めた、

渾身のStreet style。


知り合いのアーティストたちがこぞって広めてくれた。

どんどん認知が広がり、
MCバトルやイベントを協賛するまでになった。

でも、拡大していくにつれて、

自分だけでは回しきれないのに、

周りの人を大切にできなくなって、

 

最後は燃え尽きてしまった。

 

結局は、当時のすべてを詰め込んだTOKYORKも、

自らの手で手放すことになった。

それからというものの、

生活も考えなきゃいけないし、

いつまでも夢を追ってられない。

 

いろいろ悩んだ挙句、会社員になる道を選んだ。

現実を直視するために、

自分の頭を冷やすために、

腹をくくった。

 

結局、大好きなStreet cultureを仕事から切り離し、

安定した日々を過ごすようになった。

 

仕事は時間に終わるし、

毎月安定した給料も入る。

悪くない。でも苦しかった。

 

好きでもないものを売ったり、

生活するために仕事する。

 

みんなが普通に受け入れられるその毎日が、

どうしても俺には耐えられなかった。

 

そんな俺を支えてくれたのは、やっぱり、

細々と続けてたDesign produceだった。

 

ありがたいことに応援してくれる人たちがいて、

地元のダンス教室のロゴや衣装デザイン、

とあるアイドルグループのグッズデザインの話ももらった。

 

そんな中だった。

 

パッとしない俺の人生を変えてくれるものに、

ついに出会うことができたんだ。

 

俺の背筋をピンと伸ばしてくれる素敵な女性と巡り合い、

そして、愛して止まない3人の子宝に恵まれた。

Street culture以上に夢中になれるものなんてないって思ってた。

いつのまにか平凡な毎日も、

気づけば安定した幸せに変わってた。

 

ある日、子供と散歩着で公園に行った時、ある言葉がよぎった。

 

『なんかイケてる散歩着とかないかな』

 

この瞬間が転帰だった。

何年ぶりかわからないけど、

全盛期を彷彿とさせる思考のフルスロットル、

そして降り注ぐ無数のアイデア。

それがどんどん勢いを増し、

ついにはXXXLDKをSpin outした。

 

LOOSE DADDY KID(LDK)。

周りから『大人子供』って言われてたから、

いっそのこと堂々と名乗ってみた。

そしてそこに、子供の数を並べて誕生したXXXLDK。

俺に何が出来る?と考えた時、

それはずっとずっと培ってきたStreet styleしかなかった。

 

さらに、今までにはなかった言葉が頭をよぎった。

 

「子供も巻き込んで楽しめばいい」

 

Street Artを子供や親世代の普段の毎日に届けられたらいいなってDebutさせたLDK。

コンセプトは、「クローゼットから適当に選んでもバチっとキマるモノづくり」

 

子育て世代の家族にとって洋服なんて二の次だろうし、

買いに行く時間すら惜しいと思う。

 

だからこそ、長い間使える素材と、飽きのこないデザイン。

それを親子でいつものリンクコーデでキメて、

家族で過ごすかけがえのない時間の中で、

ちょい足ししたくなる隠し味として存在できたら、

 

そして、昔ストリートを好きだった親御さんたちにも、

やっぱ好きだわって言って着てもらえたら、

 

それだけで冥利に尽きる。

 

家族の何気ない幸せをそっと見守る、

みんなのDaddyでいられたらと思う。